ちよ文庫

詩、掌の小説

「タルトタタンの夢」.後


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 新しい薬の効果だろうか?

 その夜に見た夢はいつもと違った。

 

 桜が街路灯に照らされている、春の夜。

 そっと肌を撫でてくれる心地のいい風が吹いていた。

 

 桜の樹の下に誰かがいる。黒髪に少し幼い体躯。

 

 ちーちゃんだ。また夢で会えた。

 彼女は地面を一生懸命に掘っている。

 手元を覗き込むと、わずかな穴に埋められている猫のマークが描かれたワインボトル。

 

 『大人になったら2人でここに来てね、一緒に掘り返すの』

 『それで大人になった記念に乾杯しよう 』

 『大丈夫だよ、私たーくんの傍に居るから』

 

 そう言ったちーちゃんは4年前に遠くへ引っ越してしまった。

 彼女の姿を見た最後の記憶。2人で埋めたタイムカプセル。

 あの日から僕は動けないままでいる。

 

 その代わりに、ちーちゃんに夢の中で会うようになった。

 夢のお陰で眠れない日々を過ごし苦しんでいたはずなのに、いつの間にか僕はちーちゃんに会うために眠るようになった。

 睡眠薬が手放せず神経がおかしくなりそうでも僕は彼女を望んでいる。

 

 僕はちーちゃんが好きだ。

 幼くて、たまに大人っぽくて、笑顔が陽だまりのように温かい。

 そんな彼女が大好きだ。離れてからもずっと。

 

 目を覚ました僕はすぐに家を出た。すでに時間は遅くて空には夜が広がっている。

 それでも行かなくちゃ。どうしてもまた彼女に会いたかった。

 

 小さい頃から待ち合わせにしていた1本の桜の樹。そこを僕はまっすぐに目指す。

 

 やがて辿り着いた桜の樹は枝葉を自由に伸ばしていて、悠々と生きているように思えた。

 予め持ってきていた金属製のスコップでとにかく地面を掘る、掘る、掘る。ひたすらにスコップを振り下ろし穴を穿つ。機械のように手を休めず繰り返していると、ようやく手応えがあった。

 

 しかし、そこにあったのはワインボトルじゃない。クッキーを入れるような花型の缶だった。錆び付いた蓋を外すと、中に便箋が入っている。手紙だ。

 

 かじかんだ指先で慎重に手紙を取り、封を切った。

 

 『大人のたーくんへ。

  成人おめでとう!小さい頃から一緒に遊んでいるたーくんが大人になるなんて嘘みたいに嬉しいです。

 たーくんは真面目で賢くて周りの人のために頑張れる人だから素敵な大人になってるんだろうなって思います。

  私はもう少しで大人になるけど、ほんとに大人になれるか自信がないです。ずっと子供のままでたーくんと遊べたらいいのにな、なんて。

 それからひとつ謝らないといけないね。何も言わずにたーくんから離れます。ごめんなさい。

 「さよなら」が悲しくて最後まで会いに行けませんでした。「傍にいる」って約束したのに嘘つきでごめんなさい。

 でも、たーくんに会いたくないから離れたんじゃないよ。おうちの事情でしょうがなかったの。

 ずっと傍にいたかったけれどたーくんのこと諦めちゃった。本当にごめんなさい。

 いくつになっても私はたーくんが好きです。』

 

 最後に「千春より」と締められた手紙を読んで僕は4年ぶりに涙を流した。目から溢れる透明な雫は、頬を伝い顎を伝い地面に流れ落ちた。

 桜の樹は何事もないかのように、ただそこに立っていた。

 

 

使用写真

https://www.pakutaso.com/20120742185post-1660.html