ちよ文庫

詩、掌の小説

「時計仕掛けの劣等生」


f:id:chiyo-1215:20200919235402j:image

 

 

 「ちょっと話したいことがあるんだけど、いいかな。」

 

 なるべく、なんでもないふうを装った。

 ほとんど間を置かずに聞きなれた声から「いいよ」と返ってきたので少しホッとする。

 

 「やることあるから時間かかるけど、それでもよかったら待ち合わせる?」

 

 「いや、いいよ。聞いてほしい話があるんだ。」

 

 「どした?なんかあった?」

 

 「別に大事じゃなくて、ちょっとしたことなんだ。ほんとに。大したことじゃないよ。」

 

 電話越しに伝わってくる、かすかな焦りとわずかにシリアスが混じった声。

 コツコツ、とシャーペンで机をたたく音も聞きとれた。

 そわそわしたときは、すぐ動きにでる。昔から変わっていない。

 

 「最近なかよくしてる人がいるって話したでしょ。さっき、電話でその人に「もう話せないし会えない」って言われた。」

 

 「................ケンカしたの?」

 

 「ちがう。他になかよしの人ができて、その人に僕のこと話したら「これからは話さないで」っておねがいされたみたい。」

 

 「なんだそいつ.........ふざけんなよ!!」

 

 優人はまるで自分がそう言われたみたいにわかりやすく怒った。

 ただ話を聞いただけなのに、僕のことで怒ってくれる。

 それだけでなんだか救われた気がした。

 

 

 「君もユリが好きなの?」

 

 平日の昼間。人のすくない市の美術館。

 の、さらに人のすくない展示スペース。

 僕とシロウさんは1枚の白百合を描いた絵のまえで出会った。

 

 「あ、はい.....................その、僕、夏目漱石が好きで。」 

 

 「ああ、よく出てくるもんね。ユリの花。」

 

 「そう。特に、自分は「夢十夜」の一夜が好きで。死んだ女の人のお墓を百年ずっと彫っていたら、女の人がユリの花になって接吻をする話。お気に入りの話で、だから好きなんです。」

 

 「ふふ。君って、結構ロマンチストなんだね。夢中で話してるとき、すごくキラキラした眼してる。」

 

 シロウさんはまっすぐに相手を褒める、目が潰れそうなくらい眩しい人だった。

 

 口下手な僕のはなしを優しい笑顔で聞いてくれるシロウさんは「お話し上手のおにいさん」で、いつしか「お話しを聞いてくれるおにいさん」になっていた。

 

 

 

 「その人.............シロウさんに手の焼け痕のこと聞かれて全部話したときにね、言ってくれたんだ。「素直くんは手がキレイだから、焼かないでほしいな」って。」

 

 そのひとことで、魔法にかけられたみたいに僕は手を焼かなくなった。

 机の引き出しにいつも隠しているライターを手に取ることもなく、見ると痛々しいものの新しい痕がつくことはなかった。

 

 「なんだけどね、なんかどうでもよくなっちゃった。」

 

 2時間まえの電話。おひさまの匂いに包まれたおふとんみたいな、爽やかでいてあったかい声で言われた。

 

 『ごめん、素直のことも大切なんだけどね。そいつの方が心配だから。一緒にいてあげたいんだ。』

 

 切なそうな苦しそうな、「飼い犬を捨てるときの声ってこんな感じだろうな」なんて想像させる声だった。

 むしろなんにも感じてないみたいな声で話したのは僕の方だ。

 

 「たぶんね、僕は会ったことないし顔も知らないけど、相手の人も僕と同じでこころの弱い人なんだと思う。」

 

 「だからって素直のこと傷つけていい理由にならないだろ。俺だったら「じゃあ最初から優しくすんなよ」ってキレるし。」

 

 「ほんとうはそうするべきだと思うよ。でもね、言われた瞬間はこころが痛かったのに、もう不思議となんにも感じないんだ。」

 

 頭に浮かんだたくさんの鋭いことば。

 シロウさんを傷つけようと思えばできたのに、僕はあえてそうしなかった。

 「もしそのまま口に出しちゃったらシロウさんは傷つくな」。

 そう思うともうダメで。ナイフみたいなことばたちは、途端にしなしなと萎れてしまった。

 

 「上手く言えないけど、僕の身体には最初からプログラムされてるんじゃないかな。「自分が傷ついても人を傷つけてはいけません」って。」

 

 それから、「深刻なダメージを負った場合はこころの痛覚がなくなり感じることができません」。とか。

 きっと僕には、人として生きていくための大事なものがそなわっていない。

 

 「僕が思ってることそのままシロウさんに言ったら、って考えるとどうしようもなく痛いんだ。こころが。だから、何も言えないよ。」

 

 「言えよ。俺は嫌だよ、おまえばっかり傷つくの。ほんとに優しいやつが損して優しくないやつが生きてるのがすげえ嫌だ。」

 

 「んーん。優人の方が僕よりずっと優しいよ。」

 

 「俺は友達の話聞いてるだけだよ。」

 

 

 

 優人は心配そうな声で話に相づちを打ちながら、ときどき励ましてくれた。

 そうして「またつらくなったら話聞くから」と「おやすみ」を聞いて電話を切った。

 

 急に喉の乾きに気がついて、水を飲もうとグラスの縁に口をつけた。

 冷たい感触とヒリヒリする感覚。そこでようやく電話中にくちびるを噛んでいたことがわかった。

 

 なにも感じてない気がしても、ちゃんとストレスになってるんだ。

 信頼していた人にいきなり突き放されたんだから。傷ついたに決まってるよな。

 他人事のように考えてはじめて思い至った。

 

 机の引き出しには何度もつかった覚えのあるライター。

 慣れた手つきで火をつけるもどうしてかそのまま動かない。

 『素直くんは手がキレイだから』『焼かないでほしいな』。

 ああ、そうか。魔法じゃなくて呪いなんだ。

 

 ライターを引き出しに戻して、僕を傷つけた大人に出会った場所。あの平和を絵に書いたような美術館を思い起こした。

 絵のなかのユリは教室のまんなかで澄ましたように佇む優等生で、ふてぶてしさすら感じるほど堂々とした姿がうらやましくて泣きたくなった。

 もし、僕がユリの花になれたとして誰が百年待っててくれるんだろうか。

 

 

 

使用写真

https://pixabay.com/ja/photos/百合-ユリ-白-雨-花-1447312/